【会員の広場『希望』】第110号2022(令和4)年度(2/7)

2023.01.19

猫のおはなし。             


永井 美佐

僕の名前は永井セナ。もうすぐ14歳になるアメリカンショートヘアの男の子。いや、男の子じゃないか、人間だと80歳くらいのおじいちゃんか。
でもお母さんはいつまでも赤ちゃん言葉で僕に話し掛けるので、僕も赤ちゃんみたいにお母さんのお膝に座って甘えるのが大好きなんだ。
昼間は僕ひとりでお留守番してるんだけど、おじいちゃんなので近頃はお昼寝の時間もだんだん長くなり、夜もお母さんのベッドでスヤスヤ寝ているので猫と言うよりナマケモノみたいになっている。
そんな僕だけど、小さい頃から電気コードとか、ビニールとかをモグモグしてしまう悪い癖があったんだ。
去年、発泡スチロールか何かをモグモグしてしまって、だんだん気持ち悪くなってきて吐いたり下痢したり、それが何度も続いてあれだけ食いしん坊だった僕がご飯食べられなくなってしまってお父さんに病院につれて行かれた。注射は大きらいだけど点滴してもらったらすっかり元気になって、ご飯もモリモリ食べられるようになってやれやれ一安心。
それから半年くらい経った頃、またなんだかモグモグしたくなってきて、今度はお母さんがやっているテニスのスポンジボールをモグモグしてしまったんだ。
そしたらまた気持ち悪くなっていっぱい吐いたんだけど、今度はご飯食べられなくなっただけじゃなくてウンチが出なくなってしまった。
また病院に連れて行かれて先生がお腹の検査をしたら「腸が動いてないですね、お腹を切って出しますか?」ってお母さんに話している。僕はびっくりしたけどお母さんはもっとびっくりして「切らないとダメですか?」って聞いている。
結局その日は点滴と薬で様子をみてみましょうかってことになったんだ。
おうちに帰っても全然力が入らなくて、少しだけ、本当に少しだけがんばってご飯食べてみたんだけど、やっぱり気持ち悪くなってまた吐いてしまった。お水だけはなんとか飲んでいたんだけどそれもまた吐いてしまって、もう僕はダメだ、おじいちゃんだし、ずっと何も食べられないしこのまま心臓が止まってしまうのかもしれない・・・
次の日、今度はお父さんが病院につれて行ってくれて手術のために僕は入院することになった。
前の時も検査だとかいって注射をされたんだけど、また今日も同じことされて、でも先生が検査の結果をみてビックリして、もしかしたら手術に耐えられないかもってお父さんに説明している。
やっぱりもう僕はダメなのかもしれない。
ああ、猫の神様、どうかどうか僕を助けてください……
お腹を切ってみたらどうやら腸に腫瘍という悪い者ができていて、そこでスポンジやウンチが詰まっていたんだって。
あーそういえばこのところ、ウンチが今までみたいにたくさん出なくなっていたよな、大きさも今までの半分くらいだったし、食べても食べても痩せっぽちになっていくばかりだったし。
そうか、お腹の中に悪い物ができていたのか、そうかそうだったんだ。
お腹を切って次の日に僕はおうちに帰れたんだけど、ご飯はまだ食べちゃいけなかったので、病院でもらったジュースをペロペロなめて過ごした。ベッドにあがれないだろうからといって、お母さんが僕のために毛布を敷いてくれてお布団を作ってくれた。でも僕はお腹が痛かったけどやっぱりお母さんのそばで寝たかったので、がんばってベッドにあがってお母さんに頭をなでなでしてもらいながら寝た。
もしかしたら僕はまた元気になれるかもしれないって、その時やっと安心できた。
その後は少しずつご飯も食べられるようになってだんだん元気になっていって、今ではご飯もたくさん食べられるようになったし、でっかいウンチも出るようになったし、高いところにも今までみたいにジャンプしてあがれるようになった。
僕には内緒みたいだけど、どうやら検査とか手術とかで30万円もかかったらしい。ひえー、病気になったら大変だニャー。
だから僕はもっともっと元気になっていっぱい長生きするぞーと心に誓った。
ああ、猫の神様、僕を助けてくれてありがとう。
元気になってめでたしめでたし。と、言いたいところだけどこの話にはまだ続きがある。
ここからはお母さんにバトンタッチ。
セナが手術してから元気になって安心していたのも束の間、術後2ヵ月後にまた異変が起きました。
ウンチがまた少し小さくなっているなと思っていやな予感が頭をよぎっていたところに嘔吐がはじまり、餌を口にしなくなってしまいました。
すぐに病院に連れて行きましたが「悪性リンパ腫」との残酷な診断を聞かされることになり、抗がん剤の治療もあるにはありますが、との説明を受けましたが、もう自然に残りの命を穏やかに過ごさせてやりたいと、点滴も含め治療を受けないことに決めました。
水しか口にしなくなって1週間、人間でも食べ物を口からとれなくなるとその位が限界だと思っていたのですが、2週間が経った頃、今まで全く出なかったウンチが出はじめ、餌を食べたそうにしたのでチュール(ジェル状になった猫のおやつ)をお皿に入れてやるとペロペロなめ始めました。
ウンチはそれっきり出なくなりましたが、それからは2日おきくらいにチュールをなめてくれて4週間目に突入。
それまではよろよろした足取りなりにもトイレにはちゃんと自力で行っていたのですが、いよいよ立ち上がれなくなってしまったので、私の職場である治療院につれて行き、24時間体制でそばについてやりました。
最期の4日間は完全に寝たきりになっていたのですが、ちょうどその日の仕事が終わって帰る準備をしていたら、セナが急に立ち上がったのでびっくりして「セナ、どしたん?」って抱き留めてやると「ニャオー」とひと声鳴いて、そこからはもう呼吸がおかしくなってしゃっくりのような感覚のあいた呼吸が数回続いたのち、もう二度と目を開けてくれることはありませんでした。
手術をしてから97日目のことでした。
それにしてもセナの生命力にはただただ驚嘆させられました。チュールを口にしてくれたといっても、ほんのスプーン1杯程度で、ほぼ水だけで1ヵ月生きてくれたことになります。
セナが我が家に来てから最期にこれほど濃密な時間を一緒に過ごせることができてお母さんはとても幸せでしたよ。
セナ、精一杯長生きしてくれて本当に本当にありがとう。



会員の広場『希望』】第110号2022(令和4)年度(3/7)

2023.01.19


東京旅行記               


前濱 秀介
今回、私はピアニストで同じ視覚障害の、岩井のぞみさんと知り合う機会があり、5月にコンサートを行われると言うことで、東京に行ってきました。
一人で旅行に行くのはあまりないのでちょっと不安もありましたが、幸い東京には知り合いがたくさんいたため、充実した時間が過ごせました。
事前準備として、スムーズに改札を通れるように、Apple Watchを買っていきました。
宿泊先は、以前泊まったホテルを旅行サイトで予約しました。きちんと予約が取れたのか気になりましたし、チェックインの問い合わせもしたかったので電話したところ、問題なく取れていたので安心しました。
 1日目は、高速バスが朝の8時に新宿着で、そこからJRで移動して、ホテルに荷物を置き、朝食を食べにコーヒーショップへ入りました。ここでは、Suicaを使って支払いをしました。
友人との待ち合わせが池袋駅だったので、山手線で移動しました。池袋は大きな駅なので、改札を出たところで、全盲の友達と会いました。その友達の案内で、東武デパートでお昼を食べて、友達の詳しいエリアに電車で移動し、店に入って話をしました。
夜は幼馴染に再会し、テラス席のあるカフェで、夕食を食べました。
二日目は、前日あった友達に会い、いろいろ案内してもらい、コンサートまで、過ごしました。
東京最終日は、昼前まで強い雨が降っていたので、最初の日に朝食を食べたコーヒーショップで、時間をつぶしました。友人に会う予定がなくなったので、表参道のアップルストアへ行ってみる事にしました。
表参道駅は、前日地下鉄に乗っていたので、問題なく行くことができました。
アップルストアは、駅の地下の階段を上がったところにあり、行きやすいところでした。せっかくなので、どのぐらいサポートしてもらえるのか気になり、2台のiPhoneを下取りに出し、新しいiPhoneを購入しました。時間があった事もあり、すべてのデータを移行するまで、作業させてもらえました。
2時間以上かかったのでさすがに疲れて、アップルストアの近くのスターバックスで、バスに乗るまで、休憩しました。
今回の移動は駅の周辺が多かったので、駅員さんの案内をお願いしたぐらいで、ガイドなどは使いませんでした。そして、当事者の人たちから、いろいろ情報をもらっていたので、迷わずに移動する事が出来ました。
 こうして無事に東京旅行は終わりました。
来年の春にも東京に行く事になっているので、今回の旅行は、次に向けての自信になりました。


【会員の広場『希望』】第110号2022(令和4)年度(4/7)

2023.01.19

俳句(冬季)             


森下 照彦
酔(よ)いつぶれ また除夜(じょや)の鐘(かね) 聴(き)きそびれ
冬将軍(ふゆしょうぐん) 新年から 大(おお)暴(あば)れ
床の間に 長寿(ちょうじゅ)願いて 万(お)年(も)青(と)鉢(ばち)
母の愛 正月(しょうがつ)飾り(かざり) 万(お)年(も)青(と)かな
梅かおる 澄んだ心に 染み入(しみい)りて
寒(かん)葵(あおい) 落ち葉に埋もれ 顔を出し
七草の 胃を休ませる 繁縷(はこべ)かな
冬の空 常磐(ときわ)小桜(こざくら) 鮮(あざ)やかに
豪雪(ごうせつ)に 列島(れっとう)マヒし コタツかな
寒空(さむぞら)を 染める桃色 寒(かん)桜(ざくら)

俳句(春季)
春待(はるま)ちて 穏(おだ)やか可憐(かれん) オンシジュウム
豌豆(えんどう)の 春の匂(にお)いや 豆ご飯
スイトピー 紋白蝶(もんしろちょう)と 春を呼ぶ
春を呼ぶ 畑(はたけ)一面(いちめん) 花(はな)菜(な)かな
春の空 光輝(こうき)広がる 節分(せつぶん)草(そう)
恵方巻(えほうまき) 幸福(こうふく)招(まね)く 丸かじり
節分に 鬼より怖(こわ)い コロナかな
節分に 待ってましたと 薺(なずな)さく
立春(りっしゅん)に 草木は芽吹(めぶ)く コロナ禍(か)で
八朔(はっさく)を 一番(いちばん)好(この)み 春を待つ

俳句(夏季)
梅雨明(つゆあ)けを 確かと認め 蝉(せみ)の声
マイペース 小鳥と話す 夏の山
又(また)豪雨(ごうう) 災害残し 立ち去りぬ
梅雨(つゆ)明(あ)けて 同時に唄(うた)う 蝉(せみ)しぐれ
線状降水帯 蝉可哀(せみかわい)そう
梅雨明けて 粋(いき)なり猛暑(もうしょ) 耐えきれぬ
名も知らぬ 滝(たき)壺(つぼ)うえの 水(みず)おちる
滝(たき)壺(つぼ)に 飛び込みたいや 酷暑(こくしょ)かな
奥の滝 鹿のみ覗(のぞ)く 裸浴(はだかよく)
無観客(むかんきゃく) 東京五輪 コロナ増し
俳句(秋季)
猛暑(もうしょ)さけ 夜の散歩に虫の声
変わり行く 朝の散歩(さんぽ)路(じ) 秋(あき)香(かお)る
秋の風 爽(さわ)やか過ぎし 香りかな
一夜にて 野に沸き遊(わきあそ)ぶ 赤トンボ
爽やかな 赤トンボ舞(ま)う 秋の空
朝(あさ)散歩(さんぽ) 秋を感(かん)ずる 腹の虫
秋風に 焼き肉におい 導(みちび)かれ
青い空 群(む)れて左右に 赤トンボ
野に遊ぶ 童(わらべ)駈けだす 秋まつり
妖艶(ようえん)な 闇に香りを 夜(よる)顔(がお)や

川柳
コロナ禍で 後期(こうき)高齢(こうれい) 足弱(あしよわ)り
入社後 3年マスク 顔(かお)知(し)らず
イライラと 在宅勤務 太り過ぎ
通勤に 無言の電車 皆マスク
帰宅途中 マスク跳ね上(はねあ)げ 一気(いっき)酒(ざけ)  
良く転ぶ 曾孫(ひまご)に歳(とし)を やろうかな
物価は 鰻(ウナギ)登(のぼ)りで 年金(ねんきん)減(へ)り
コロナ禍で 儲ける(もうける)奴(やつ)は 公務員
大雨が 降るビールなら 溢(あふ)れずに

短歌
渓流(けいりゅう)に 皐月(さつき)躑躅(つつじ)の 美しさ 貴女(あなた)と見たい 静かなる森
薔薇(ばら)園(えん)に 貴女(あなた)と同じ 香り立つ 今も秘めたる 心に花を
狭き(せまき)腹(はら) 十月(とつき)を過ごし 世にいでし 健やか育て 杏(あん)珠(ず)の人生
初夏の陽(ひ)を 浴びて誕生 卯の花も 香る垣根に ホトトギス来る
微風(そよかぜ)に 早苗(さなえ)の水面(みなも) ツバメ影 低く飛びたる 食事の時間
梔子(くちなし)の 香り包まれ 嫁ぐ孫 今は淑(しと)やか 昔お転婆(てんば)
猛暑なり ようやく聞こえ 鈴虫の 心(こころ)満(み)たされ コロナは今も
古(いにしえ)の 今も崩(くず)れぬ 石垣の 下(した)で語った 神代(かみよ)の恋を
闇(やみ)の空(そら) 仄(ほの)かに残る 月食(げっしょく)の 時(とき)達中(たつなか)に 光増(ひかりま)したる
正月に 曾孫(ひまご)電話に 出てくれば アーアー言葉 年の始まり
正月に 美食(びしょく)食べすぎ 胃にもたれ 七草(ななくさ)粥(がゆ)の 有難(ありがた)さかな
梅(うめ)香(かお)り 空の明るさ 胸(むね)一杯(いっぱい) 生気(せいき)を吸い込み 成人(せいじん)門出(かどで)

川柳                    


美野 洋子
①  初詣(はつもうで) おみくじ結(むす)ぶ 老夫婦(ろうふうふ)
②  絵馬(えま)を書(か)く 後ろ(うしろ)姿(すがた)の 受験生(じゅけんせい)
③  卯(う)の年 増える(ふえる)家族(かぞく)の 母子(ぼし)手帳(てちょう)
④  春一番(はるいちばん) 帽子(ぼうし)ひらひら 蝶(ちょう)のよう
⑤  譲り合い(ゆずりあい) 笑顔(えがお)二つ(ふたつ) 電車内(でんしゃない)
⑥  カブトムシ 相撲(すもう)とらせて 遊(あそ)ぶ子(こ)ら
⑦  タンチョウの 求愛(きゅうあい)ダンス 癒(いや)される
⑧  逆(さか)上(あ)がり 出来て笑顔(えがお)の 孫娘(まごむすめ)
⑨  宮(みや)太鼓(たいこ) 夜空(よぞら)に響(ひび)き 赤子(あかご)泣(な)く
⑩  秋雨(あきさめ)に 色(いろ)とりどりの 傘(かさ)の花
⑪  雨上(あめあ)がり 渡(わた)ってみたい 虹(にじ)の橋(はし)
⑫  年末に 帰省娘(きせいむすめ)の 布団(ふとん)干(ほ)し


【会員の広場『希望』】第110号2022(令和4)年度(5/7)

2023.01.19

料理教室にいきませんか?        


前濱秀介
 皆様、こんにちは。
9月14日に、料理教室に参加しました。
料理教室は、水曜と日曜のコースがあり、会場が取れず日程が変わる事がありますが、毎月1回ずつ行われているようです。
 今回私は、昨年の夏に知り合いの家で料理を手伝って以来、久々に包丁を使って野菜を切ったり、フライパンで野菜を炒めたりしました。
また、豚肉で、野菜の肉巻きもやってみたのですが、薄い豚肉で野菜を巻くのは、最初は難しくちゃんと巻けているのか気になりましたが、焼いてみると肉巻きになっていました。とてもいい経験になりました。
2時間で4品目の料理を作るのであわただしかったですが、5人で分担しながら、自分のペースで行いました。
そして、できあがった料理を食べ、後かたづけをして終わりました。
今度の水曜の教室は会場が取れないので12月になるようですが、次回も参加してみたいなと思いました。
初心者の方でも大歓迎のようですので、気軽に参加してみてください。


【会員の広場『希望』】第110号2022(令和4)年度(6/7)

2023.01.19

あの路線にもう一度          


立石 敬一
2022年3月、蔓延防止等重点措置が解除された。世の人達は籠から放たれた鳥のように羽ばたいただろう。しかしその時点でのコロナ感染者数はまだ、「完全に減った」といった感じではない。数カ月経ち、職場から県外への外出が許可され、周りの雰囲気から気持ちが吹っ切れた。よし、行こう。
 8月7日、広島から乗ったのぞみ号、一通りの車内の設備などのアナウンスに加え、座席は回転させず、大きな声での会話は控える旨。空気は数分おきに循環させている旨などが告げられ、もはやウィズコロナでの経済活動を、といった感じに取れた。
 昼過ぎに仙台へ到着。到着した日は仙台周辺の鉄道で未乗車区間の路線に乗る。始めに乗車した仙石東北ラインは、東日本大震災迄は別々だった東北線の塩釜~松島と仙石線の松島海岸~高城町の間に、直接見る事は出来ないが線路同士が接近している箇所がある。そこに橋渡しのように線路を繋ぎ作られたバイパス路線。これを通る事により仙台から石巻への時間短縮となる。
 翌日は三陸鉄道への乗車である。三陸鉄道の起点である盛へ行くには大船渡線を利用する。この路線も東日本大震災後、一ノ関~気仙沼迄は鉄道路線だが、気仙沼~盛間はBRT(Bus Rapid Transit バス高速輸送システム)。分かり易くいえば鉄道自体は廃止せずバスによる代行輸送。つまり、線路を引き直す代わりに道路を作り、そこにバスを通すというものだ。なので盛駅は線路ではなく道路に設けられている正にこれが「道の駅??」。立派な駅舎とみどりの窓口を備えていた。
 盛でやっと三陸鉄道の気動車とのご対面である。盛~久慈間を結ぶ第三セクターだが、東日本大震災以前は途中の釜石~宮古間はJR山田線が運営していた。その為、盛~釜石間は南リアス線、宮古~久慈間を北リアス線に分かれていた。しかし震災により被害も著しく、JR側がこの区間から手を離し、その後第三セクターがこの区間を引き継ぐ事になり、盛~久慈間が「三陸鉄道」となった。いってみればシンプルになった感じにも取れる。しかし全長は163㎞と、これ迄一番長かった松浦鉄道(93.8㎞)をはるかに上回り、日本一の長さに返り咲いた。
 乗車したのは盛発11時8分発宮古行き。三陸鉄道はこれだけの距離を有しながら快速列車などが一本もなく、全てが普通列車である。三陸鉄道はその名の通り三陸海岸沿いを走り、地図上でも海に寄り添って線が引かれているが、意外とトンネルが多い。盛を出発し、大きくカーブするとすぐにその闇は始まる。そんな中にも盛から数えて3つ目に「恋し浜」と言う駅がある。ここは元々「小石浜」という表記だった。しかし沿線でのホタテの養殖が盛んで「恋し浜」というブランド名が付いた事で、この駅も2009年から「恋し浜」という駅名表記となった。単式のホームにちょこんと3分間の停車。山あいの向こうに見える海。そして駅名が表記している看板をバックにカップルで写真に納まる時間は充分にある。恋に目覚めたかと思うとすぐにまたトンネル。幾度となく闇の空間と灯区間が繰り返され釜石に到着。ここから宮古迄が、元JR山田線の区間だ。
宮古へは13時46分着。ここで乗り換えだが乗り換え時間は8分。階段を渡りホームの端迄行かなくてはならない。乗客もそこそこ乗っていて、辛うじて1席空いていたボックス席に腰を下ろす。この先からが長大トンネルが連続し、灯区間はほんの瞬き程度。まるで昼間である事を忘れてしまいそうなほどだ。
三陸鉄道には所々に印象に残る駅があり、人の名前のような響きを持つ田老駅、それに続く新田老駅もその一つだ。新田老駅から2つ進んだ所にある岩泉小本駅は元小本駅。以前ここで下車して小本交通のバスに乗り岩泉迄行き、JR岩泉線に乗った事がある。ただこの岩泉線も災害に見舞われた後、復旧する事なく廃止に至っている。連続していた長大トンネルも途切れ、車内には真夏の陽が戻ってきた。迫っていた山肌も遠のき、15時31分、駅構内にかかる高架橋にかけられた幕の「ようこそ 不思議の国のリアスへ」という文字に出迎えられ終点の久慈に着いた。
 全区間を乗り通してのお客さんの状況は、盛~宮古間が疎ら。宮古~久慈間は辛うじて1席空いていた程度。しかしこれも途中迄で、立ち客が出る程ではなかった。
最近は災害に見舞われ、お客さんの利用も見込めず結局はそのまま廃止になる路線も珍しくはない。そんな中で東日本大震災の壊滅的な被害を受けながらも、周りの人々に支えられ、よくぞ復旧してくれた。二十余年前に初めて乗車し、2020年3月に全線復旧するというニュースは前から聞いていた。復帰後は必ずもう一度乗りに行くという強い願望を抱いており、2年半経った今年、ついにそれを実現する事が出来た。最終日に仙台~品川迄乗った常磐線の特急「ひたち」は原発事故が起き、度々ニュースで聞いた地名、浪江町や双葉町を通る。ここは最後迄不通区間となっていた。こちらも未曾有の大惨事を受けた路線である。その仙台から乗った特急「ひたち」の指定席の番号も3号車11番D席(窓側)。
切符に印字されたこの数字が「東日本大震災の事を忘れないで欲しい」。そう伝えているような気がした。今こうやって鉄道に乗れる事。当たり前の事が極普通に出来る事、これも復旧に携わった人達のお陰である。その人達と今こうやって力強く走る列車のその姿に拍手を送りたくなった。



【会員の広場『希望』】第110号2022(令和4)年度(7/7)

2023.01.19


希望 編集後記


明けましておめでとうございます。
12月に発行予定でしたが、皆さんの原稿をお待ちしたので、1月になりました。
バラエティーにとんだ原稿が集まり、楽しく読ませて頂きました。
年に一度の「希望」です。皆さんもぜひご投稿ください。お待ちしております。
                    文化部 藤谷順子

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