第109号 3/8

挑戦
森川 能光
子供の頃スポーツは、することより観るのが好きで、走ることは苦手でした。二十数年前ブラインドテニスをはじめ、その頃からスポーツをすることも好きになりました。
テニスをするのに、少しでも体力をつけたい思いから、時々家の近所を走るようになりました。
18年前職場の同僚から「平和マラソンに一緒に出てみない」と誘われ、10キロマラソンを走りました。ゴール後10キロなら走れるんだぁ、と爽快な気持ちになりました。
それからは年に数回職場の同僚と10キロの市民マラソンに参加するようになりましたが、ただランニングの練習は、テニスやマラソンの大会前にする程度でした。
それでも最初の数年は、大会に出る度に自己記録を更新していましたが、それ以後はだんだんタイムが落ちていくばかりでした。
5年程前友人を通して、視覚障害者の伴走もされているMさんと出会いました。初対面で「ハーフマラソンや、フルマラソンに一緒に行きませんか」と誘われました。その時は20キロ以上走ること等全く想像できませんでしたが、いつかはフルマラソンに挑戦してみたい気持ちがあったので、2017年2月に初めてハーフマラソンの大会に参加しました。
その日は雨天でしたが、16キロまで順調に走っていました。ただ登り坂で失速、残り1キロには、足に痙攣がきたので、足を引きずりながらのゴールでした。長距離は、練習をしないと走れないと痛感しました。それからは休みの日や夜に伴走者と一緒に、以前よりランニング練習を増やし、ハーフマラソンの大会に年に何回か参加するようになりました。
そして2019年12月1日、那覇のフルマラソンに参加しました。タイムよりとにかく楽しんで完走を目標に走りました。那覇マラソンは、町中がお祭り騒ぎで、おまけに沿道の人が食べ物や、飲み物を配給してくれるので、ペースもゆっくり走っていたこともありますが、30キロ過ぎまでは、順調に走っていました。
しかし30キロを過ぎると、足全体に痙攣が来て、それからしばらくは足を引きずりながらのペースになりました。34キロ過ぎからは、体調も少し落ち着いてきたので、少しずつペースをあげ、37キロ過ぎに残り5キロと聞き、そこからは不思議と元気が出て、さらにペースを上げて42.195キロを完走しました。
ゴールの瞬間疲れより、本当にすがすがしい気持ちでいっぱいになりました。苦手だった走ることが、ちょっと好きになった瞬間でした。
昨年私は50歳になりました。体力は年々落ちて行きますが、色々な目標に向かって、これからも挑戦し続けていきたいと思います。